日本の物価の正体―適正価格ってなんだろう

我々の時代は、消費するために生きていると言っても過言ではありません。消費の反対語は生産です。生産が主であった時代は生産者に主導権があったのですが、今は逆です。最終的に消費の窓口になる企業が、価格を決めることになります。

先日トイレの水漏れが起きて、業者に電話をしました。見積もりは無料ですのですぐに行きます、とのこと。とはいえ、わざわざ来てもらうのは悪いので、最低いくらかかるか聞いてみたら大体5万円ぐらいになるとのこと。確かに一人の人間が見積もりをして専門業者が作業をして、そのくらいになるなあと思ったのですが、まずは断ってホームセンターに行ってみました。水漏れしている状態を説明すると、すぐに係の人が部品を教えてくれました。金額は1000円以下です。家に戻って自分で直してみると水漏れは止まりました。かたや5万円、もう一方は1000円です。この違いはなんだろうと思うのです。もちろんこの水道業者が悪いわけではありません。実際にコストがかかることはわかります。さらにいえば、大儲けをしているわけでもないでしょう。

最近の物価高は、一般的な給与所得の値上がりに比べて異常に高くなっています。こうした状況をおかしいと思わないほどに、日本の暮らしや、仕事のリズムは忙しくなり、自分でホームセンターに行く時間すらなくなっているのです。こうした話は建築に限らずあらゆるものに当てはまります。野菜を生産する値段より、流通コストや、仲卸業者のコストものり、そして最終的な小売店に並ぶ値段から生産者への支払いが決められるのです。農林水産省のデータによれば、2023年時点の独立農家の平均所得は404.2万円だそうです。

かつては農家であっても子どもたちを大学に通わせることができました。しかし今ではもう厳しいでしょう。実家が農家でも大学に進学した子どもたちは、企業に勤め、都会で暮らし、実家には戻らないのです。さらに追い討ちをかけるように人口は急激に減り、消費も全体的には減っていきます。また人工知能の急激な発展により、労働そのものが機械に代替されることも想定されます。

今私たちは、もう一度自分でものを作ること、生産の方に力点がある社会を模索していくことが大事に思えてなりません。せめて日常の暮らしの中で、家具や家の整備にかかるコスト、電気や水道の費用に疑問を持ちながら、消費をできるだけ抑えた暮らしを考えてみることが必要だと思います。

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