土間の歴史と今後

平岡文雄 / PIXTA(ピクスタ)

土間とは床の張っていない半外部空間の意味で、日本においては古くから、土足で使う場所が土間、裸足で暮らす場所が板の間でした。ずっと後江戸時代になると畳が庶民の家にも普及します。外履きを脱いで暮らすというのは、とても清潔で、日本の文化の特徴ともいえるでしょう。 
さて一方土間ですが、家の種類のよって、さまざまな使い方がされます。武士の家、商人の家、農民の家、農民と言っても庄屋や小作人の家ではずいぶん違いがあります。
しかし共通するのは、よごれてもいい作業をする場所、そしてもうひとつは料理をする場所でした。水をこぼしても、また火を使うにしても、木造の家を基本とする日本では、土の上にかまどや炊事場をつくるのは好都合だったのでしょう。

この2つの側面について分けて考えてみましょう。
1の作業場(共同でする作業、雨や雪の日などに家の中で行う作業)ですが、これは、大正時代になって、世界的に産業構造の変化の兆しがうまれます。仕事を家の延長でするのでなく、会社でするようになります。そのことにより、とくに大きな都市では家で仕事をするということが消えていきます。また、まちに人口が集中し、いわゆる庶民の住宅というものができてきます。そうなると小さな家に家族が独立して住むのですが、食事をしたり、団欒をしたりという茶の間が出現します。これまでは畳の部屋をまたいで奥にいく間取りでしたが、家の真ん中を通る動線として中廊下というものも生まれます。それ以前は縁側のような場所が廊下となっていましたが、住宅が小さくなって実現できなくなったからです。そしてこの頃から、土間は無くなっていくのです。

2の台所についての大きな変化は、ガスと水道の普及でしょう。
明治時代になると、台所は「床上空間」と「土間空間」の2つに分けられ、床の上には竈(かまど)や七輪、土間にはつくばいという流しが置かれ、しゃがまなければ火も水も使うことができませんでした。しかし大正時代に入り「台所改善運動」が始まると、どうすれば立ったまま作業ができるのか改良が進められます。これを機に、ガスや水道設備が見直され、台所が家の奥に入っていくことになります。先に間取りの変化がうまれ、それをさらに加速する様に、ガスと水道の普及があったのです。
こうして都市部では昭和初期に、農村部では戦後になって、土間は日本の住宅から完全に消えていきました。

さて最近では、「土間のある家」というようなタイトルを、よく見かける様になりました。70年代ぐらいから建築家の中には、こうした土間という場所に注目して、靴を脱がずに外部と交流ができる場所として、提案していた人も見られましたが、最近はどちらかというとアウトドアの道具の手入れや、作業スペースといった家の中には持ち込みたくない、半外部空間としても需要に対応するのかもしれません。とはいえ、かつてのように、誰かと共同で作業をする場所ではなく、個人の趣味や仕事といった、プライベートな空間、また友人を招いたときのアウトドア的な、靴をぬがずにくつろげる場所といった意味合いがあるようにも思えます。さらに共同住宅の小さな狭苦しい玄関への反動も重なっているかもしれません。また少子化によって個室の数にゆとりが生まれていることもあるでしょう。こうしたいくつかの理由で、「土間リバイバル」は広がりつつあるのです。

今回の間取りの提案は、こうした背景をもとに、家で仕事をする人、自転車を趣味として、チューンナップをしたり、寝室から愛車を眺めたりという暮らしを想定して作ってみました。マンションの北側を寝室にするという、暗くなりがちな間取り配置に対して、北側を少し開いていくというのも提案の要素になっています。
玄関を境に、家の外と内と完全に分けるのでなく、中間領域とも言える空間を配置し、社会に対して少し開いていくということも、現代社会への提案ともなっています。

みなさんはどう思いますか。土間のある暮らし、ぜひ検討してみてください。

 

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