「銀木犀」高齢者賃貸住宅

―自由な暮らしへの選択肢の追求
下河原忠道さん 千葉県浦安市銀木犀にて

photo: Tomizawa Susumu

下河原さんは、サービス付き高齢者向け住宅 銀木犀を11カ所運営し、その独創的でありながら、住まう人が自由で生き生きと暮らせる賃貸住宅として、高い人気を得ています。食事を運んだり、洗濯物をたたんだり、入居者が出来ることは自ら行います。世話をするのでなく、役割を担ってもらうこの賃貸住宅、確かに住んでいる人の表情は生き生きとしています。

下河原さんは、サービス付き高齢者向け住宅を運営しようとは思っていませんでした。父親が営む鉄鋼事業の会社を継ぎ、その新規事業としてスチールパネル工法の躯体パネルの製造、販売をする事業を行なっていました。その工法が適しているのは、3階建ての共同住宅や高齢者施設と考え、特に高齢者施設の提案を土地の有効活用として、この工法と施設の運営事業者をセットにして、土地オーナーに提案をしていました。
あるとき、提案をしていたオーナーと紹介した運営事業者とが折り合いがあわず、オーナー側から「下河原さん、あなたがやってみたら」と言われます。そのことがきっかけになり、その後自らが運営を行うようになったといいます。

もともと自分が運営を行う想定はしていなかったのですが、お客さんの高齢者施設を見ながら、「もう少しこうなったら」とは、いつも思っていたようです。このことを機に、様々な施設を見学し、居心地の良い空間を考え抜いたといいます。
「高齢者施設というと、建築がどこか造花みたいだ」と、下河原さんは言います。空間のありかたや素材、家具などにこだわっていきました。生活をもっと楽しむように造れないものかと、色々考えを思い巡らしたのです。完成後、そうした住宅の空間が人気を博し、すぐに満室に。しかし運営については、それほど考えていなかったそうです。ところが入居がはじまると、入居者が家に帰りたいと窓から飛び降りようとしたり、病気で亡くなったり、想像もできなかった色々なことが次々と起こります。経験のない下河原さんには分からないことだらけです。そこですぐに、自分もそこに住んでみようと、その住宅に住み始めたのです。

玄関の鍵を開ける

一緒に住み始めてまず分かったことは、共同生活が自分も息苦しいし、楽しくもないということ。そして、窓から飛び降りようとする人にその訳を聞くと、「家に帰りたいのに、玄関がしまっているから、開いているここから帰ろうとした」と言うのです。鍵がかけてある玄関は、単に通れないということ以上に、入居者は管理されているという精神的な圧迫感を感じていることに気づくのです。下河原さんは、まずこの玄関の鍵をかけないということから始めます。そうすると、一気に住宅の雰囲気は生き生きとし始めたと言います。しかし同時に、認知症の人たちは外に出て行って行方不明になることも。時には、警察からの指導もありました。しかし入居者の生き生きとしていく姿に、もっと運営について勉強しようと気持ちに火がつきます。

リビングには電灯からやわらかな光が。この日も入居者が談笑する姿が見られた。

管理が依存を生む

日本の様々な施設を、自分の目で見て歩こうと取材を始めます。その中で価値観が大きく変わったのが、神奈川県藤沢市で加藤忠相さんが運営する小規模多機能型居宅介護『おたがいさん』を見た時。入居者と運営者の区別が分からないぐらい、そこには運営のルールがなく、訪問すると認知症のおばあちゃんがお茶を淹れてくれるという、自分の施設では考えられないような光景を目にしたそうです。スタッフは一緒に遊んでいるように見えて、利用者の状況をよく観察していることにも驚きます。ルールを作らない、管理をしない。そして自由に過ごしてもらいながらも、自ら選択して役割を持ってもらう、そういった運営に大いに共感したのです。
こうした全国の視察をしながら、同時に自分の住宅の運営も変えていきます。大きな変化は入居者との関係、管理するのではなく、あくまでも賃貸の入居者、その関係は50/50(フィフティー・フィフティー)。運営の仕方に納得がいかないのであれば、出て行っても構わないという表明をきちんとしたそうです。あくまでも生き生きと暮らすことを目標に、そして選択の自由度をできるだけ作ることを第一に、そこで起きる出来事については自己責任であることも伝えていったのです。辞める職員も出たそうですが、入居者の変化は徐々に周りを巻き込んでいきます。

駄菓子屋開始。暮らしを楽しむ。

下河原さんが運営するほとんどの銀木犀には、駄菓子屋があります。あるとき、下河原さんが「子どもがもっと来てくれたらいいんだけどなあ。駄菓子屋でもしてみるか」と言うと、おばあちゃんも「それは楽しいね」と意気投合。さっそく庭に小屋をつくって、駄菓子屋を始めます。まずは小学校で宣伝、沢山の子どもがやってきました。銀木犀浦安の看板娘おばあちゃん、昔は銭湯の番台に立っていたそうで、お客さばきも、子どもの対応もうまいそうです。月に50万円も売り上げる月もあるとか。1日に300人近い子ども達が来る日もあるようです。子どもが来ることで、入居者の楽しみも増えます。たまにはお釣りを間違えたり、店番に飽きてどこかに行ってしまったり、色々なハプニングはあるものの、それも楽しんでいるようです。

子どもたちは学校が終わると、ここで駄菓子を買う。銀木犀のなかでお菓子を食べて帰る子もいるそうだ。

看取り合宿

もうひとつ大きな試みは、看取りへの積極的な取り組みです。日本の高齢者施設の看取り率は看護師が常駐している介護付き有料老人ホームでも30%、しかし、この銀木犀では現在76%だそうです。それは看取りをすることで、入居者もスタッフも死ということに立会い、向き合い、受け入れることで生きることの意味を確認できるのだというのです。「死」を生活の中に取り戻していくということ、かつてはどの家でも生活の中に家族や近隣の人の「死」があったのです。
下河原さんは今、厚生労働省から委託を受けて、看取りのVRコンテンツを開発し、高齢者住まいの介護スタッフやご本人にそのことを疑似体験してもらう研修をしているそうです。
自分の死をどういう環境で迎え死んでいくのか。死ぬときにどんな人に囲まれて、どんな姿で死んでいくのか。元気なうちから考えてもらいたいと思っています。誰もが病院の中で、管だらけで死ぬのは嫌なはずだと言います。

次の構想にむけて

現在次の構想として多世代の人が一緒に暮らし、飲食店併設や銭湯併設といった入居者が住宅に暮らしながら、仕事をする場に参加できる、そういう仕事付き高齢者住まいを計画しているそうです。
高齢者を高齢者として扱わない、多少のことは笑い飛ばしてしまう。そんな社会的心理環境が必要だといいます。認知症を特別なものとして考えるのでなく、また悲観的に考えるのでなく、そうした人たちが日常を一緒に楽しめる地域をつくるには、多くの人の中にある無意識の偏見に気が付く体験が必要なのだと言います。管理しないこと。依存させないこと。そして最後に笑いをたやさないこと。多くのヒントがあった取材でした。

下河原忠道(しもがわら ただみち)
株式会社シルバーウッド代表取締役。従来の高齢者住宅のイメージを翻すようなサービス付き高齢者向け住宅・銀木犀(ぎんもくせい)や、バーチャルリアリティ事業「VR認知症プロジェクト」などの活動を精力的に展開している。