日常の暮らしの中に、忘れられない思い出をつくる 木下サーカス

【表町商店街コロナインタビュー vol.7】木下サーカス 木下英樹さん

年間120万人という世界でもトップクラスの動員数を誇る「木下大サーカス」。ホワイトライオンのショーや空中ブランコなど、一度見れば忘れられない瞬間をこれまで多く創りだしてきました。今年で創業118年。その歴史は長いですが、木下大サーカスの起源が、表町の少し東の西中島町から始まったことは、あまり知られてはいません。
アニマルライツの問題や、新型コロナウイルスの問題など、時代が移り変わる中でサーカスもたくさんの変化を求められてきました。その一方で、誰もが楽しめて一生忘れない思い出をつくるという、娯楽の原点にも通ずる考え方は、118年間変わらずに継承されてきました。
今回は、木下サーカス取締役の木下英樹さんにお話をうかがいました。

木下大サーカスの始まり

木下大サーカスの始まりは、1877年に遡ります。木下さんの高祖父(曽祖父の父)木下藤十郎が、岡山市西中島に「旭座」という芝居小屋を始めたことから始まります。その後、曽祖父の矢野唯助(後の木下唯助。木下大サーカス初代団長)が木下家に養子入りし、祭りや芝居小屋などで芸事に関わり、軽業一座を結成し1902年に大陸へ進出。大連(中華人民共和国遼寧省の南部に位置する都市)にて旗揚げをしました。これが木下大サーカスの創業となりました。しかし、その後の日露戦争を機に唯助は帰国を余儀なくされ、岡山市表町の千日前地域へと戻ります。帰国後、唯助は千日前にて映画館や芝居小屋、銭湯や食堂といった大衆に受け入れられ、喜んでもらえる場所を作ることに力をいれ、千日前商店街のにぎわいを作り出していきました。
唯助が始めたサーカスは、時代を経ても今日にいたるまで民衆の心を掴んでいったと木下さんは言います。
「サーカスは動物や曲芸といった、子どもから大人まで、親子3代でも4代でも楽しめることが人気の理由だと思います。また、一般的にサーカスのチケットは高価なものですが、木下大サーカスのチケットは、家族がそろって行きやすい価格帯というのもポイントです。現在は社員110名、年間4場所~5場所を巡り、一つの拠点で2か月半〜3か月ほど滞在して興行を行います。年間約120万人を動員するサーカスにまでになりました」。

現場からのスタート

創業家に生まれた木下さんですが、その経歴はまさにサーカスの現場から始まっています。
「大学卒業後、カナダに1年間留学し、23歳で木下大サーカスの舞台に立ちました。2年前の39歳まで空中ブランコで飛んでいたんです。今は本社に勤務していますが、本当は舞台を、まだやりたいんですよ。初代も祖母、叔母も動物の調教師で、父も舞台に出ていたので、自分もいつかは舞台にと思っていました。経営と現場を切り離さず、自分も舞台に出て、現場の団員と仲や絆を深めていけたら」と笑顔で話します。
23歳で入社し、それまではサーカスの経験もその基礎となる体操の経験もなかった木下さん。中学生のころから、夏休みや春休みにはサーカスの手伝いをしていたので、練習に参加させてもらうこともあったそうですが、本格的な練習は入社してからだったそうです。
「器械体操や新体操は基礎なので、それが出来ている方がデビューは早いと思います。ただ競技の体操とは違い、お客様に喜んでもらえる魅せる演技をするには、体操の基礎だけではない別の訓練も必要ですね」。
過去には、骨折した時にちょうど代役がいなくて、痛みを抑えて空中ブランコを飛んだこともあったそうです。そんな状況でも、超満員の劇場で、お客様から拍手をもらうと痛みも忘れるほど興奮すると言います。何度経験していても鳥肌が立つといいます。最後のお見送りの際に、子どもたちから「自分も飛んでみたい」と言ってもらったり、家族が手をつないでスキップをしながら帰るのを見て、「サーカスをやっていてよかった」と心の底から思ったのだそうです。

新型コロナウイルスの影響を受けて

現在は東京都立川市にて興行中の木下大サーカス。満席時は2000人まで動員できますが、新型コロナウイルスの影響で動員数を50%以下、900人までに制限して公演を行っています。それまでは1日2回だった公演回数も、現在は1日1回にしています。
「公演回数を減らし、客数も減らしたことで、収益への打撃は非常に大きいものでした。1日の単価にすると公演を中止したほうがいい日もあります。事業継続のため、岡山発の地域密着型クラウドファンディング「晴れ!フレ!岡山」にて7月15日から開始したクラウドファンディングプロジェクトでは、本当にありがたいことにたくさんの温かい支援をいただき、9月22日、目標額に達成いたしました」。

日常の暮らしの中に、楽しみを作り続ける

木下さんには、サーカスを始めた当初から、日常の暮らしの中に人々の楽しみをつくり続けたいという強い信念があります。その実現のために現在、2つの構想があるそうです。1つは木下サーカスが所有している千日前商店街にある映画館の再活用。2つ目は、本社の中にサーカスミュージアムをつくる構想です。
「年に1度、モナコで開かれるモンテカルロサーカスフェスティバルには、世界中からサーカスオーナーとそのファンが一堂に集まります。これまでそこで収集してきた貴重な品々や木下サーカスの軌跡にまつわる資料を展示し、サーカスの歴史や魅力が分かる資料館を作りたいと思っています」と笑顔で話します。
また、時代の変遷とともに娯楽の形が変わる中で、サーカスの未来についてもこう語ります。
「社会の変化を受けてサーカスも変化しつつありますが、人間が出来ないようなアクロバットを鍛錬して習得し、披露するということは、今後もずっと続いていくと思います。また、動物愛護や動物福祉の観点から、動物と人間との絆を通じて動物たちとの共生についても皆さまにお伝えできるような舞台を目指したいと思っています」。
いつもお客様をどう楽しませるか、感動はどうしたら生まれるのかを考え続けている木下さん。創業の地への想いも込めて、サーカスで培ったその演出力を、街づくりにも生かす活動を始めています。
「12月19日(土)、20日(日)に表町商店街の南時計台と北時計台で、岡山芸術劇場のプレ事業の一環として、ミニサーカスをすることにしました。ジャグラーやホワイトライオンの着ぐるみが登場する予定です。南時計台のアーケードの屋根は、実はサーカスの動物をデザインしているんです。今回は二日限りですが、継続的に続けていけたらと思っています」。サーカスで大事にしてきた信念が、今、街づくりにも活きていこうとしています。
人を喜ばせたい、家族全員が楽しめて一生の思い出になる時間を作りたいという思いが伝わってきた取材でした。娯楽の形が変わり、外でも家でもどこにいてもコンテンツが楽しめる時代になっている世の中ですが、そこに行かないと見られない娯楽の魅力を教えてもらいました。

木下英樹(きのした ひでき)
1979年(昭和54年)岡山市生まれ。
岡山学芸館高等学校卒業。芦屋大学教育学部卒業後カナダバンクーバーに留学中。極真空手を習う。帰国後、木下サーカス株式会社に入社。オープニングショー、空中ブランコなどで舞台に出演後、現在は取締役、芸術推進本部芸術販売推進副本部長として岡山本社にて勤務。趣味、ゴルフ。

木下サーカス公式サイト|http://www.kinoshita-circus.co.jp/